魔聖王の闍夫を呼ぶ緣

 今昔、武蔵国多麻南の奥つかたに、魔聖王と云ふ者ありけり。いづれの御時にかは節切を賜はり、大将にもなりぬれど、種種のよしありて、かくのごとく身をやつし、かくのごときほとりにうつろひにけるらむ。ありし世のなごり、ただ程無き牛車ぎっしゃ*4 のみとなりにけり。

 

 或文月、多麻に幾歳いくとせかの春秋を送れる日の昼つかた、すずろにさまよはむとて、かの車まうけぬ。ややきたなきさまなれど、うるはしきよしある車なれば、べちのしさいなく乗らるるべしとて、屋形やかたに乗りぬれば、やがて車やぶれにけり。

 

 ずちなき心地してたくみよびよせば、むつかしき者来けり。かほを布でおほひ、名をば闍夫じゃふとなむ云ひける。闍夫の「ながえくびきもろともにこほれむ。されど予、かけずしてつくろはる。」となむ言ひけるさま、いとつれなく、「あないみじ。さだめてあやしき身なるべし。」とぞおぼえぬる。

 

 而る間、魔聖王、日頃ふれぬ車のしかけいとどをかしがりて、はてはつくろひたる軛ふれむとて袂より手をのぶれば、闍夫、「な触れそ。」といさめぬ。いとうべなるいさめなれど、魔聖王、ありしより心づきなくおぼえ、「言葉撰ばず。貴様、かくあさましきれ者なれば、いまし此方にて打たむ。」などおぼゆれど、いささかに心ありぬれば、あへてすまふることもなく、ただうちもだしけり。

 

 闍夫、つひに車を直し、やうやう物言ふことしげしくなりぬ。「乗りてみせよ。」と言へば、からくして車に乗られぬ。進みぬれど、けしき音なりとよみけり。闍夫うち笑ひて、「此はこしきやぶれぬるけにやあらむ。かさねて修理しゅりすべし。」などと言へど、けしきことただ音のとよむのみなれば、心得ぬ魔聖王あやしがりて、「よろしきさまなるべし。いかでかやうな音なりとよむの修理すべきよしなるや。」と問ふに、闍夫ただ「予、音のなる車乗るらむ者知らず。そもそもかやうな車に乗る者のためしなし。これ知りたることぞかし。」とのみ答へぬ。

 

 「我さとりにけり。かの工、ひとに非ず。」魔聖王、いとくちをしがりけり。

 

 なり。闍夫、ひとに非ず。常世の国より、三界に化生けしゃうして、たみ導かむとてまかり出で給ひぬ御仏なりけり。魔聖王の心中つぶさに見給ふに、「心無きおのこなるかな。」などとおぼへ給ひつつ、車のみは直し給ひにけり。

 

 やうやう魔聖王にても気悪しき心失せば、はてには、「かたじけなし。いとらうらうじきわざなり。」などと闍夫めでぬ。

 

 しばしありて、闍夫さやけき影をはなちて天にのぼり給ひけり。

 

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 ひととせぞ過ぎぬる。魔聖王、用ありて甲斐国都留*5 に来し折、かさねてかの車うちやぶれぬ。深山幽谷の道なりぬれば、四方よもに日の光だになく、さすがにあへなき心地ぞしぬ。日頃よりあへて祈りなどせぬ魔聖王といへども、かく折に限り、額をつき、ただ一向ひたぶるに念ずるのみなりけり。「すでにまどひにけり。いかがせむ。」など。

 

 さるに、また闍夫出で給ひ、車を直し給ひぬ。闍夫、「予おほなる工に非ず。ただ芥子けしほどの功徳により、此度のみ汝をたすく。かさねて功徳積むべし。」となむのたまひければ、まばゆき影にしるしある身おおひ給ひ、天にのぼらむとし給ひければ、御かほの布落ちにけり。魔聖王、かすかなる目路めぢにて、さやに其の御影見ればうち泣かれぬ。

 

 魔聖王、とかく武蔵国多麻にかへりて、まづ仏造り、とく世を捨てて山に入りぬ。

 

 其造りし御仏、「高田健志」にぞ似たりけるとや。

 

*1 現在の東京都町田市にあたる。

*2 征夷大将軍に任用される際、天皇より賜る刀。

*3 この文は日本霊異記の形式に拠っているため、平安時代初期の桓武天皇であると推測される。

*4 牛車 ↓画像

牛車

*5 現在の山梨県大月市にあたる。

 

(令和四年五月二十三日)